江戸中期より全国的に広がった火防(ひぶせ)の神、秋葉山参りは、秋葉信仰として盛んに行われました。
特に遠州地方は盛んで、その象徴的なものとして秋葉常夜燈、籠灯ともいわれています。(秋葉灯を保護する鞘堂のこと)
現在も各地に残っていますが、この早出の各組にも残されていて当時の信仰の様子を知ることが出来ます。
信者は毎年、代参といってお供え物を持って代表者が参拝して、火防のお札をいただいて帰り、各家々に配りお祀り
しました。その内の一枚を籠燈に納めて毎夜火を灯し祀り、地区の安全を祈りました。
この秋葉山参りの道を秋葉街道と呼んでいます、早出町を見ますと主要な道路で、道に沿って籠燈は建っていて、
秋葉街道に通じる枝道(本通りに通じる小道)として利用されました。
この秋葉灯について、入野村の竹村廣陰(タケムラコウイン)の「変化抄」という文書に次のように書かれています。
村々の常夜灯は九尺一丈はまれで、普通は約四尺の石灯籠であります。
文政3(1820)年頃より、雨覆いをするようになり、天保3(1832)年頃より、彫刻の入った灯籠が造られるようになりました。
嘉永5(1852)年頃より、益々華麗となり美しくなったと書かれています。
各地区にある秋葉道(籠灯)は今も大切にお祀りされています。
上組 秋葉灯籠
明和6(1769)年12月建立
平成2年現在地に移転
中根組 秋葉灯籠
安政7年(1860)年建立
下屋敷組 秋葉灯籠
地震により破損し平成5年講の人達により再建
林組 秋葉灯籠
天保6(1835)年建立
新田組 秋葉灯籠
明治27年(1894)年建立